投資競馬は、今までになかった新しい可能性を提示している。
なぜ、競馬新聞が重宝されたのかと言えば、それしか選択肢がなかったからだ。
基本的に予想というのは馬柱という狭い世界に縛られてしまう。
競馬新聞や今あるデータが競馬のすべてを物語っているだろうか。
残念なことに答えは「ノー」だ。競馬の一面を切り取ったものに過ぎない。
今でもJRAが意図的に情報を制限しているのは明らかなところだろう。
たとえば、いまだに調教映像は重賞レースで、しかも一部の馬のみという有様である。
競馬新聞社とズブズブの仲であり調教に関する忖度をした結果、馬券購入者の快適さが損なわれているというわけだ。
それでもJRAが公正競馬をしていると信じているのであれば何も言うことはない。
JRAが価値のないデータのみ売っているのであればチャンスはないように見えるがどうだろうか。
そこから抜け出せるところに投資競馬の価値がある。
投資競馬には必ず「システム」があり、それを利用することで予想に必要なコストを下られるのが第一のメリットだ。
シンプルに言えば「データ分析」を代行してもらうことで、時間を節約し、資金効率が良くなることで負けにくくなる。
馬券購入者の9割は、本格的なデータ分析とは無縁であるため、実績があるシステムであれば必ずアドバンテージが得られる。
そもそも競馬のデータ分析手法は一般に存在しない。やりようがないのが現実だろう。
競馬のデータ価値は変動していて、とても扱いが難しい。
レコードで勝った馬は必ず強いのか、と聞かれると何となく分かるのではないだろか。
明瞭な指標というものがないのだから競走馬の能力を把握できなくて当然だろう。
つまり、アテにならないデータを元に予想しても利益にはなりにくい
結局はデータの質が結果に反映されるということになる。JRAのデータだけでは差がつかない。
投資競馬で成功している人たちは「独自のデータ」を持っている。
みんなの投資競馬なら、業界最高レベルのエージェント情報を独占的に活用している。
競馬新聞社の厩舎エージェントではなく、競走馬エージェントなので馬を見ることに強い。
関係者で馬を見られる人はいても質が低かったりする。
あの社台グループでさえ、稀代の名馬ディープインパクトを格安で売ってしまっている。
競走馬にもトレンドがあり、それを見抜ける人がいなかったからこそ起きた悲劇と言えるだろう。
最近の三冠馬を見ても特別に高い馬というわけではない。
そこを高いレベルで見抜いてきたエージェントのアナログデータには一定の価値があるのは言うまでもないだろう。
最近はAIというフレコミが増えてきて、どれがいいか迷うかもしれない。
個人的に思うのは最終的には「個人スキル」によって決まるだろうということ。
ソフトウェアを使って片手間で稼ぐ投資競馬を考える人は多いが今では通用していない。
そう考えると、覆しにくいアドバンテージが「アナログ」の価値と言えるだろう。
AI時代になるほど個人スキルの強みが問われると言われており、競馬予想にも似たようなことが起こるのは間違いない。
先のない競馬予報を続けるか、それともリスクを負って新しいことを始めるか。
その違いが今後の大きな違いとなっていく。正しい選択をするにはどうするか。
その答えは投資の本が教えてくれるかもしれない。